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Channel: 第弐章 「悠久の大義」
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帝国海軍、餓島を艦砲射撃するも効果不十分!う~ん、ザンネン!!の巻

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餓島へ重火器等の輸送をすべく、一時的にでもヘンダーソン飛行場を使用不可にする必要があり、
 
海軍は1942年10月11日、重巡4隻を中心に飛行場を砲撃する第一次挺身攻撃隊と輸送隊を
 
餓島に送り込みます。
 
しかし敵艦の待ち伏せに会い、挺身攻撃隊の重巡はコテンパンにやられ、砲撃は達成できませんでした。
 
 
そこで山本五十六連合艦隊司令長官は、高速戦艦を主力とした第二次挺身攻撃隊に餓島の砲撃を命じます。
 
大役を担ったのは、戦艦「金剛」「榛名」と直衛隊・前路警戒隊の軽巡1隻と駆逐艦9隻。
 
 
 
 
戦艦金剛(上)と、榛名(下)
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13日から14日にかけて金剛は三式弾104発、榛名は零式弾189発をわずか20分で撃ち尽くし、
 
反転してからは30分かけて徹甲弾を雨あられのように飛行場におみまいします
 
 
 
 
 
三式弾は海軍が開発した榴散弾の一種で、目標の手前上空で砲弾が破裂し
 
砲弾内に詰め込まれたいくつもの焼夷弾子を散弾するんですね
 
破裂後弾子は瞬時に3000度にも達するので、敵航空機を炎上させることができます
 
 
 
 
大和ミュージアムに展示してある三式弾レプリカ(赤い砲弾)
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この攻撃でヘンダーソン飛行場は火の海と化し、
 
駐機中の96機のうち、54機が被害を受け、ガソリンタンクも炎上しました。
 
滑走路に落ちた徹甲弾は、そこかしこに大穴を開け飛行場を一時的に使用不能となります。
 
 
続いて14日夜、今度は重巡「鳥海」「衣笠」が主砲弾752発を、
 
15日夜、重巡「妙高」「摩耶」が900発以上、駆逐艦「長波」「巻波」「高波」で計253発、
 
を撃ち込みます。
 
 
 
 
ヘンダーソン飛行場
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これで制空権を奪回出来たと思ったのもつかの間、
 
実は米軍はこの砲撃前にはすでに第二飛行場を完成していたんですね。
 
 
 
日本軍の特質として、「彼を知らず、己を知らず」と言うのがあって、
 
ろくに飛行場周辺の偵察も行いませんでした。
 
それと工業力の格差。
 
日本軍設営隊は人力に頼っていましたが(一部重機も使用はしてたのだが)、
 
米軍は大型重機を大量に投入し、滑走路にはパネル(グレイチング等)を敷設するケースが多く、
 
たとえ爆撃で大穴があいてもブルでドサッと土砂を入れ、上にパネルをパタパタはめて
 
「はい、オシマイ!」てな感じかな。
 
 
 
いくら飛行場を叩いても、米軍機は蠅のように襲い掛かってくるので、
 
餓島への輸送は大きな犠牲を払い続けてしまいます。
 
 
 
そして「柳の下のドジョウ」を得るべく、第五次挺身攻撃隊を編成し、
 
戦艦「比叡」「霧島」を投入するんですが、
 
ここで待ち構えていた米艦隊と「第三次ソロモン海戦」が勃発します。
 
比叡は米巡洋艦艦隊の返り討ちに合い、操舵不能状態に陥ったところをヘンダーソン基地から発進した
 
米軍機にとどめを刺されます。
 
霧島は米戦艦「サウスダコタ」「ワシントン」と交戦し、サウスダコタを戦線離脱させたものの、
 
ワシントンの主砲弾を多数受け、霧島もまた沈みます。
 
 
 
 
 
霧島(上)と、回避行動を取る比叡(下)
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このあたりでは日米双方の艦船・航空機が多く沈み、
 
アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)と呼ばれるようになりました。
 
 
 
ヘンダーソン飛行場砲撃は、戦術的には成功を収めても、
 
制空権・制海権奪回は成功せず、数多くの艦船・航空機を失ったことにより、
 
戦略的には敗退と言える作戦でした。
 
 
 
陸海軍の将兵の皆さんは、艱難辛苦乗り越え立派に戦われたと思います。
 
だからなお、軍上層部にはもっと冷静沈着な判断が欲しかったと、残念でなりません。
 
 
 
 
 
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