1942年の11月頃、餓島の日米の攻防戦はすでに終盤戦に突入しており、
日本軍の劣勢は加速していました。
空の守りを確保した米軍は次々と輸送物資を陸揚げしてるのに対し、
日本軍はと言うと、次から次へと沈められた輸送船の代わりに、
駆逐艦による『鼠輸送』で細々と続けられていました。
しかし、餓島作戦期間中の約半年間で駆逐艦14隻を失ってしまいます。
敵航空兵力の殲滅を図った連合艦隊は、
ヘンダーソン飛行場を砲撃するために戦艦「比叡」「霧島」を向かわせますが、
待ち構えていた敵艦隊との間に11月13日~15日に海戦が起こり、
「比叡」も「霧島」も沈められ、
重巡「愛宕」「高雄」や駆逐艦数隻のも損害が出、失敗に終わってしまいます。(第三次ソロモン海戦)
『鼠輸送』には伊号潜も狩り出されており、そんな中でも餓島沖に停泊する敵艦船に
甲標的をもって攻撃しようとする計画も、11月4日~12月3日の間に8回実施されました。
11月27日深夜に伊16潜を発進した甲標的は、
28日の朝に敵船影を発見し、97式魚雷2本を発射します。
狙われたのは、米貨物運送艦「アルキバ」。
甲標的が放った1本がアルキバの船体前部に命中し、火災を発生させました。
アルキバは傾斜したものの懸命の消火活動により沈没は免れ
(一時は浜に乗り上げさせたのですが、やがて輸送任務に復帰しています)
この艇の乗務員は確か戦死しています(記憶が定かではないのでごめんなさい)。
甲標的が魚雷を2本とも発射すると、その魚雷の分だけ軽くなるので
水面上に艇が飛び出てしまうことがあるそうです。
ひょっとしたらこの艇も、浮き上がってしまったところを砲撃されたのかもしれませんね。
甲標的の運用は、計画当時とは戦局の変化に伴い、大きく変動していきましたが、
ここ餓島戦では、攻撃に成功した上で乗務員の回収率もそこそこ達成し、
作戦としては成功と言えるのではないでしょうか。
ただ、艇としてはこの当時の甲型は電池が切れればそれでおしまい。
(丙型ではディーゼル発電機を搭載し、行動距離は大幅に向上している)
だから攻撃・乗務員収容後は艇はポイ捨て状態。
もったいないけどね。
運用が非常に難しい甲標的。
それを克服し、餓島では2隻に損害を与える健闘を見せました。
乗務員とそれを支えたスタッフに拍手を送りたいと思います![]()
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