昭和54年、私も斎藤くんもこの年に國士舘大學に入学しました。
彼は地元青森で中学生の頃から柔道で頭角を現し、
高校の時に國士舘高校へ進み、
高2では夏のインターハイ団体に出場し優勝するなど、
早くから“ポスト山下”の呼び声が高い存在でした。
彼と知り合ったのは、大学近くの飯屋で
同郷の柔道部の知人と飯を食ってた時、
あとから彼が入って来たんですね。
はっきりとは覚えていないけど、
私が丼とうどんとそのほかの何かをたいらげてたのを見て、
「おんめぇ、ほせぇわりにはよく食うなぁ
」と言われたんだけど、

彼は丼5杯にざるそば3枚くらい食ってたので、
「おい、底なしに言われたくないわい
」

と言い返したのがきっかけでした。
その後彼は、
ロサンゼルスオリンピック・ソウルオリンピックの
二大会で金メダルを獲得。
日本柔道史に名を刻みました。
国内の大きな大会で、あの山下泰裕選手とたびたび決勝で当たり、
その都度跳ね返されてきました。
昭和60年、山下選手が現役時代最後に出場した全日本選手権。
ここでも決勝で対戦し、斎藤くんの返し技が決まったかに
見えたけど、審判はこれを取らず。![イメージ 3]()
試合終了直後、斎藤君はガッツポーズを出し
悲願の勝利を確信したけれど、
惜しくも判定で負け。
通算成績8戦8敗(対山下戦)
山下選手は通算203連勝を記録し引退。
斎藤くんはソウル五輪後に引退。
引退後は、
アテネオリンピック日本選手団男子柔道監督・
北京オリンピック日本選手団男子柔道監督
を勤め上げました。
彼は時々関西にも足を運んでました。
今から約20年ほど昔、
私の自宅のすぐそばにある高校にも訪れたことがあり、
その時に数分程度話したのが彼と会った最後でした。
アテネ五輪男子100kg超級金メダリスト、鈴木桂治(上)
北京五輪男子100kg超級金メダリスト、石井慧(下)は
斎藤くんが育てた選手と言えます。
また電光石火の“内股”が必殺技の井上康生も、
全日本強化合宿で斎藤くんに相当鍛えられたそうです。
斎藤くんは肝内胆管がんにより、
本日午前2時56分大阪府東大阪市内の病院にて死去。
享年54歳。
斎藤くんとは親交が深い仲ではなかったけど、
同じ時期を同じ大学で学び、
学生時代に選んだ道は違うけど、
ともに苦しい中を乗り切った仲間として
いつも尊敬しておりました。
このたびの訃報を知り、悲しみでいっぱいです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
いつも御訪問戴きありがとうございます
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