横浜の中学生が5月27日に修学旅行で長崎市を訪れ、「長崎の証言の会」の語り部・森口貢さんに被爆各地に案内され、当時の説明を受けていました。
爆心地から600メートルほどの山里小学校へ案内。話を始めようとした際、別行動をしていた男子生徒5人が近づき、「死に損ないのくそじじい」と大声を上げ、周りの生徒に向けて「笑え」「手をたたけ」などと言ったそうです。
被爆後間もない山里小学校
今も残る山里小学校校舎裏の防空壕
当時は入り口にコンクリート枠などはなかったが、平成13年(2001)年3月、内部・入口は風化や崩壊の危険を防ぐため補修、改装された。
森口さんは翌日、「多くの被爆者の方に申し訳なく、つらい時間でした」と記した手紙を校長に郵送。
後日学校へ電話すると、校長から「すみませんでした」と謝罪されたという。
普通なら学校側が即謝罪の電話なりを入れるのが筋だと思うのですが、語り部の方が電話するまで何も行動を起こさなかったのでしょうか![]()
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校長は取材に、暴言の前に森口さんが、態度が悪い男子生徒1人に「出て行け」と言って叱った経緯があったと説明。
「(暴言は)逆恨みをして言ったのだろうが、許される言葉ではなく反省を促したい」と話した。
今後、生徒の感想文と校長の謝罪文を送るという。(取材時)
森口さんは原爆投下後に長崎市中心部に入り、入市被爆をした。小学校教諭を退職後、1998年から被爆遺構の案内や講話をしている。現在は長崎の証言の会事務局長。森口さんは「こんな経験は初めて。被爆69年となり、戦争や原爆をひとごとと感じているのだろうか。本気で向き合ってもらえなかったことが悔しく、悲しい」と話した。
今の日本人にとって、『戦争』とは遠い昔の出来事で、時代劇とあまり変わらない
の中の出来事としかとらない

人が多く見受けられます。
そんな年寄りが言うことなど『ウザい!』としかとらない多くの若者がいます。
この横浜の中坊もおそらくそうなんでしょう。
小便くさいガキのうちから、他人事としかとれない者はろくな大人にはならへんなぁ![]()

8月7日撮影(左)と、8月10日撮影(右)
長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長は「自ら学ぼうという気持ちが足りなかったのでは。事前学習を含めた学ぶ姿勢が大切」と話す。被災協は修学旅行生らに年間600回ほど証言活動をしている。
集中しない生徒はいても、邪魔されたことはないという。
学校側はこの中坊に感想文を書かすとあるけど、どうせ書かされたとしかとってないで![]()

心から反省及びお詫びの言葉なんかおそらくしてないわ![]()

世保市の同級生を殺害したガキは、あんな何もしてへん子殺るより、この横浜の連中見たいなんを殺ればよかったんや。
まぁどっちにしても、佐世保のガキも自分より弱いもんにしか目向けられへん『根性なし』やろけどな。
今思い出したけど、ちょうど1年前夏祭りの帰りに『オヤジ狩り』に遭遇した。
杖をつきながらとぼとぼ帰ってると、暗闇から4・5人の若造が飛び出してきて、刃物ちらつかせて金を要求しよった
先客のおっさんは鼻から血流しながら横たわとったなぁ。

たまたま仕込み持ってたんで、前の二人を切り捨ててやったら残りはこいつらほって逃げよった。
一人を川に掘り込み、もう一人ののどに蹴り入れて動けんようにしてから帰ったけど、こいつらも佐世保のガキも横浜の中坊もなぁんもかわらん。
弱いもんには強いけど、強いもんには手出しよぉせえへん。
世の中これからどこへ向かうんやろ・・・・?
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