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Channel: 第弐章 「悠久の大義」
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昭和20年3月17日、神戸大空襲で神戸市西半分は壊滅!の巻

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神戸とその周辺地域は1945年(昭和20年)1月3日から終戦までの約8ヶ月間に、大小合わせて128回の空襲を受けました。
 
 
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特に3月17日および6月5日の市街地絨毯爆撃と、川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害が出ました。
 
被害状況に関する公式記録は存在せず、具体的な数字ははっきりしてませんが、被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、少なくとも8841名の市民が犠牲となり、15万人といわれる負傷者、焼失家屋15万戸、のべ65万人もの人々が家屋に被害を受けたといわれています。
 
これは人口および面積から換算した被害率としては、当時の五大都市の中でも最悪の数字でした。
 
 
 
3月17日未明の大空襲では、兵庫区・林田区・葺合区を中心とする神戸市の西半分が壊滅しました。
 
 
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米軍の作戦任務報告第43号
 
神戸は、人口100万人を有する日本で六番目の大都市。日本の最大の港であり輸送の拠点である。
神戸の造船所は、日本国内最大の造船と船舶用エンジンの集積地帯である。
下関からの幹線鉄道である山陽本線と大阪や東京へ向かう幹線鉄道である東海道本線との結合点が神戸にある。
神戸を通過する唯一の良好な道路である国道が神戸の人口密集した業務地区を通過している。
これらの重要な輸送施設により、神戸では鉄鋼、鉄道車両、機械、ゴム、兵器といった基幹産業の工場が密接に結合している。
 
先導機6機は、大規模火災をおこさせるため、M76焼夷弾を搭載した。

主力部隊は、M69焼夷弾を内蔵した500ポンド集束弾(E28集束弾、E36集束弾、E46集束弾)をできるだけ多く搭載した。これらは、目標上空2000フィート(約610m)で作動するよう起爆装置がセットされた。
M47A2焼夷弾の取り付け集束器が不足したため、その替わりに4ポンドマグネシウム弾を内蔵したM17A1 集束焼夷弾を搭載した。

2種類の焼夷弾の搭載によって、消防活動は異なる方法を採らなければならなくなる。 M69焼夷弾は、水を掛ければ鎮火するが、マグネシウム弾は水をかければ急速に燃焼する。

三番機は、T4E4破砕集束弾を搭載した。これは、できるだけ消火活動を混乱させるためのものであった。
 
 
 
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神戸元町2丁目付近
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元町通2丁目阪神会館前通り(昭和10年ころ)
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B29の出撃数331機。うち未帰還機はわずか3機でした。
 
 
 
地震や津波の威力はすごいが、空襲となるともっとむごい!
 
人類が英知を結集して立ち向かうのは、自然災害だけにしてもらいたいもんだ・・・。
 
 
 
 
 
 
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