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Channel: 第弐章 「悠久の大義」
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1944年6月6日、フランス・ノルマンディーに連合軍が上がって来たぞ!の巻

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この日からドイツ降伏まで、連合軍のオーバーロード作戦により累計で約300万人もの連合軍兵士が、ドイツ軍掃討のためにフランス・ノルマンディー上陸を果たしました。
 
 
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作戦内容の詳細については、めっちゃ長くなるので今回はパスでお願いします。
 
また使用画像は、参考画像にて本作戦時の画像ではありませんのであしからず。
 
 
 
 
このころ太平洋戦線では、ニューギニアの一角であるビアク島の戦いが5月27日から行われており、連合軍の反撃がじわじわと押し寄せていた時期です。
 
 
 
ビアク島で破壊された九五式軽戦車
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ビアク島には、歩兵第222連隊を基幹とするビアク支隊役15000名が交戦を強いられたが、終戦後に投降した者も
含め生存はわずか520名しかいなかった。
 
マッカーサーはこの後に控えているサイパン上陸作戦のために、それまでにここの飛行場を抑えたかったみたいだが、守備隊の奮闘に阻まれ、結局サイパン作戦までには占領できなかった。
 
サイパン線が開始されたのは、1944年6月15日のことでした。
 
 
 
サイパンに上陸する米軍兵士
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話をノルマンディーに戻しましょう。
 
上陸に当たって、前日に空挺部隊が後方攪乱を目的としてノルマンディー一帯に降下作戦を開始しています。
 
 
上陸部隊は、イギリスのモントゴメリー将軍の総指揮の下、ユタ・オマハ・ゴールド・ジュノー・ソードの5ブロックに分かれ、一斉に上陸しました。
 
 
 
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連合軍はオマハでの上陸時の犠牲をはじめとして、数多くの死傷者を出しながらも、独軍の防衛線を突破し、のちにパリへと向かうのでした。
 
 
マルクフ海岸砲台の210mm砲
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先ほども述べましたが、本作戦は実に奥が深い。
ですので、書き出すといくらあっても足りないので、こんくらいで勘弁してください
 
 
 
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