広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ」の12人の搭乗員中、唯一存命だったセオドア・バン・カーク氏が28日、米南部ジョージア州の高齢者施設で老衰のため93歳で死去したと、米紙ニューヨーク・タイムズなどが伝えました。
『エノラ・ゲイ』と言う名は、機長のティベッツ大佐の母親から取られたそうな。
1945年8月6日午前8時15分に広島市に原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。
長崎に原爆を投下したB29「ボックスカー」の搭乗員も既に全員が死去しており、彼の死によって広島・長崎に直接原爆を投下した人物はいなくなった。
搭乗員が生前共通して発言したのが、
「原爆投下は、戦争を終わらせる唯一の手段だった。」
「それで終戦に動いたのだから、多くの米兵の命と日本人の命を救った。」
と言うものでした。
これらは完全に軍部による“マインド・コントロール”ですよね。
副機長だったロバート・ルイス氏は投下直後に次のようなメモ書きを残しています。
「私たちは一体何人を殺したのか?正直言って語る言葉が見つからない。神よ私たちは何ということをしてしまったのか」
当時の米軍首脳の一部では、日本を降伏させる手段として三つの選択肢があると考えられてました。
1.日本を完全に海上封鎖し、兵糧攻めにする。
2.日本本土に進攻し完全占領を目指す。
3、日本が降伏するまで原爆投下を行う。
1の選択肢は、膨大な時間を要すること。粗食に耐えてる日本人はそうやすやすと音を上げない。
2の選択は、ここまで戦ってきたどこの地域より、米軍に大量の犠牲者が出てしまう。
3の選択が一番手っ取り早い。原爆は“必要悪”である。
エノラ・ゲイは8月9日に本来投下の第1目標とだった、小倉市(現北九州市)の天候観測機として作戦に参加。
その後、本国に帰還し機体保存が決定される。
そして現在はスミソニアン航空宇宙博物館に展示してあります。
セオドア・バン・カーク氏は当時、航法士としてエノラ・ゲイに搭乗。
操縦士に広島への針路を示すなどの役割を担っていました。
ご冥福をお祈りいたします。
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