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Channel: 第弐章 「悠久の大義」
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1942年1月12日、伊六潜が米空母「サラトガ」を雷撃するも撃沈はならず!う~ん、残念!!の巻

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ハワイ作戦に参加した「伊6潜水艦」は、攻撃終了後も同海域に留まり、
 
米海軍の動向を監視していました。
 
 
 
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1942年1月11日、真珠湾を出港した輸送船団と空母エンタープライズの後を追い、
 
空母サラトガは翌12日真珠湾を出港します。
 
 
 
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しかし、その先には哨戒中の伊6潜が待ち構えていたんですね。
 
日没後、伊6潜はレキシントン型空母を発見(サラトガ)。
 
なかなか距離を詰めれないまま、稲葉通宗艦長は魚雷3本発射。
 
うち2本がサラトガに命中。大破させます。
 
 
サラトガ」は修理のため4ヵ月以上戦線を離脱することとなり、米海軍の太平洋での空母は
 
「エンタープライズ」と「ヨークタウン」のみとなりました。
 
(「ホーネット」は、東京空襲のために1942年3月に大西洋から太平洋へと回航された)
 
 
 
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サラトガがドック入りしてる間に珊瑚海で「レキシントン」が沈み、
 
 
 
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サラトガが真珠湾に寄港した後、ミッドウェイ海戦で「ヨークタウン」が伊168潜の雷撃で沈み、
 
 
 
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サラトガは第二次ソロモン海戦で空母龍驤を撃沈するが、
 
 
 
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ここでも伊26潜の雷撃を受け行動不能に。
 
 
 
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「ワスプ」は伊19潜の発射した魚雷6発のうち3発が命中し撃沈。
 
 
 
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1943年11月にはラバウルを空襲し、日本海軍の巡洋艦等に打撃を与えます。
 
 
 
空襲を受ける重巡「筑摩」
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その後マキン・タラワ等への輸送任務や防空任務に就き、
 
1945年2月になると、硫黄島方面に進出するも、
 
海軍第二御盾隊(彗星艦爆隊)による特攻を受けて大破。
 
(突入したのは第二御盾隊指揮官・村川弘大尉と思われる)
 
 
 
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数々の潜水艦による雷撃や特攻攻撃にも耐え、終戦まで生き残ったサラトガは、
 
1946年に行われたビキニ環礁での核実験標的艦に使用され、
 
7月25日に沈没した。
 
 
 
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あの時伊6潜のはなった3本の魚雷がすべて命中し、
 
あるいは当たり所が悪く撃沈してたとしたら、
 
サラトガ航空隊はミッドウェイ海戦に参加できなかったかもしれないし、
 
第二次ソロモン海戦に参加した米空母は、
 
「エンタープライズ」「ワスプ」の二隻のみだったかも。
 
(この頃ホーネットは真珠湾にいた)
 
龍驤を沈めたのがサラトガの攻撃隊だし、
 
龍驤がそのまま攻撃に参加していたら
 
エンタープライズも被弾してただけに、ひょっとしたら沈めてたかもしれないね。
 
 
歴史には「たら」「れば」がつきものですが、
 
1本の魚雷がその後の戦局を大きく左右したと思うと
 
残念でなりません。
 
 
 
 
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