札幌オリンピックは、
1972年2月3日~2月13日まで
札幌市で行われたアジアで初めての冬季オリンピック。
35か国・地域から1128人(男性911人・女性217人)
の選手と527人の役員が参加。
競技は以下の10種目。
アルペンスキー・クロスカントリースキー
スキージャンプ・ノルディック複合
スピードスケート・フィギュアスケート
アイスホッケー・ボブスレー・リュージュ・バイアスロン
昭和真っ盛りを生きる少年(わてのことでんねん)にとっては、
どの競技も初めて見る光景で、
物珍しさも手伝って、
に釘づけでした![]()


特にジャンプ競技は、まるで世界中のスーパーマンが
集まって来たような風に映り、興奮したなぁ![]()

会場は札幌市中央区宮の森の大倉山ジャンプ競技場![]()

このジャンプ台を上から見るとこんな感じ、お~コワ~![]()

この70m級ジャンプ競技で出場した日本選手が
金・銀・銅の三つのメダルを独占しました(2月6日)。
それまでの冬季大会で日本は銀を一つしか獲得してなかったのが、
一挙に3つ取ってしまった驚きと興奮は今でも忘れてないですね。
特に金メダルを獲得した笠谷幸生選手が
二本目飛ぶ時の実況放送で、
「さぁ笠谷、金メダルへのジャンプ
……

飛んだ決まった![]()
見事なジャンプ![]()
」




という言葉が印象的でした。
「日の丸飛行隊」の三人。
左から銀の金野昭次、金の笠谷幸生、銅の青地清二。
笠谷選手は90m級でもメダルを期待されたが、
二本目の時に横からの突風に煽られて
7位に終わってしまった![]()

このジャンプのほかにも
少年の目をくぎ付けにした競技(選手)がありました。
それは、真駒内屋内競技場で行われた女子フィギュアスケート。
日本選手やのぉて、
ジャネット・リンというアメリカの選手。
いやぁ、かわいかったなぁ![]()

演技の芸術点なんかはわからんけど、
とにかく笑顔がめっちゃ可愛いい![]()

生まれて初めて異性を意識した瞬間でしたね![]()

縁起の途中転倒して尻もちをついた時でも、焦りの表情はなく、
「やっちゃった、エヘヘ
」といわんばかりの笑顔で立ち上がり、

結果、転倒したにもかかわらず銅メダルを獲得![]()
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彼女は、その愛くるしい笑顔で
日本中の男性を虜にして
「札幌の恋人」「銀盤の妖精」
と呼ばれました。
後に雑誌の取材で京都を訪れたリンちゃんが好かったなぁ![]()
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学校でも話題はジャンプのことでもちきりで、
ジャンプ中の選手のように紙を型抜きし、
階段の手すりで滑らせ、
飛行距離を競う遊びが流行りました。
この画像の学校ではありませんが、こんな感じの木造校舎でした
それでこのような幅広の手すりで選手をかたどった紙を滑らせて喜んでました
この時に流行った札幌オリンピックのテーマソング
「虹と雪のバラード」
は今でも好きで時々聴いてます。
札幌オリンピックが終了して間もなく
連合赤軍が人質をとって立てこもった
あさま山荘事件が起こります。
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