昭和18年後半の主だった出来事はと言うと、
7月末にはキスカ島から撤退。
南太平洋では餓島撤退後、ソロモン諸島の戦いが激化しており、
ベラ湾夜戦・ベララベラ海戦・ブーゲンビル島沖海戦等で
多くの艦艇と兵士を消耗していきました。
キスカ島に放置された甲標的
ラバウル空襲
ここで12月だけで被害を受けた艦艇を少しですが見てみましょう。
4日
空母冲鷹、八丈島東方180カイリにおいて、米潜水艦セールフィッシュの雷撃をうけ沈没
駆逐艦文月、ラバウル空襲により損傷
5日
軽巡五十鈴、ルオット(クェゼリン環礁の一部)にて爆撃をうけ中破
軽巡長良、クェゼリンよりルオットに向かう途中、爆撃をうけ小破
特務艦杵崎、クェゼリンに在泊中爆撃をうけ小破(画像は同型艦の「荒崎」)
駆逐艦天霧・秋風、カビエン(パプアニューギニア)付近で触衝
9日
戦艦山城、呂113潜水艦、平根崎灯台付近で触衝(画像は呂101)
10日
特務艦杵崎、ミレ付近で機銃掃射をうけて小破
14日
駆逐艦夕凪、ニューアイルド島付近で爆撃をうけ小破
16日
伊16潜水艦、ラバウルにて爆撃をうけ小破
18日
駆逐艦沼風、沖縄東方において、米潜水艦グレイバックの雷撃をうけ沈没(画像は同型艦の野風)
駆逐艦沼風、沖縄東方において、米潜水艦グレイバックの雷撃をうけ沈没(画像は同型艦の野風)
19日
海防艦平戸、荒天により損傷(画像は同型艦の「択捉」)
20日
駆逐艦芙蓉、ルソン島スピック湾沖にて米潜水艦バッファの雷撃をうけ沈没
21日
駆逐艦秋風、ラバウルにて爆撃により損傷
駆逐艦若月、浦賀で修理中、缶室火災事故を起こす
24日
伊21潜水艦、ギルバート方面にて消息不明。沈没認定
25日
戦艦大和、トラック北西150海里の地点で、米潜水艦スケートの雷撃をうけ1本が命中
掃海艇21号・25号、カビエンで空襲を受け損傷
27日
敷設艦初鷹、厳島丸(タンカー)と触衝
昭和18年と言えばまだまだ踏ん張りがきく時期。
その頃にたったひと月でこれだけの損害を出し、
海軍の上層部は何を考えていたのでしょう![]()

小艦艇の被害だからと言って軽視したのでしょうか。
そんな大勢だから、この後ズルズルと行ってしもたんやろなぁ。
海軍は敵に負けたのではなく、
自ら襟を正すことをしなかった
己の未熟さに負けたんでしょう。
おかげで死なずに済んだ多くの将兵を失ってしまった。
これらの作戦ミスは戦後だれが責任を取ったのでしょうか。