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Channel: 第弐章 「悠久の大義」
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1941年12月16日、帝国海軍の期待を一身に受け、戦艦大和が竣工し連合艦隊第1戦隊に編入されたゾ!バンザ~イ!!の巻

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超・超有名な戦艦大和については、

私より詳しい方が山ほどおられるので、

ただ竣工記念としてさらっと通りますね。


1922年に開催された『ワシントン海軍軍縮条約』

1930年に開催された『ロンドン海軍軍縮会議』は

第一次世界大戦後の軍拡に歯止めを打つために

戦勝国サイドで決められた軍縮条約です。

海軍艦艇の保有比率に関しては、

英:5・米:5・日:3・仏:1.75・伊:1.75

に決定しました(のちに若干の調整がありました)。

日本の構想は「八八艦隊」であり、

(戦艦八隻と巡洋戦艦八隻を根幹とする艦隊整備計画)

この軍縮会議によってこの計画は頓挫することになります。

八八艦隊計画の中に「十三号型巡洋戦艦」配備計画がありましたが、

これも起工する前に建造中止となっています。



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1936年にロンドン海軍軍縮条約から脱退し、

制限なき軍艦建造競争の時代に入っていきます。


軍縮条約がなし崩しになりつつあるのを悟り、

米・英海軍が建造すると推測される新型戦艦に

対抗できる艦船を帝国海軍でも建造すべく軍令部は

46サンチ砲を搭載できる「超ド級戦艦」建造を指示します。


一度は消えた「十三号型巡洋戦艦」が現実味を帯びてきました。

マル3計画による、A140-F6型戦艦建造計画です。

壱号艦を「大和」、弐号艦を「武蔵」とすることになりました。

1937年11月4日に呉海軍工廠で起工したのですが、

ここではそれまでに戦艦長門なども建造してるのですが、

壱号艦建造のためにドックをさらに拡張したエピソードもあります。



機密保持のため造船所自体が外部から覗けないように

覆いがかけられ、壱号艦建造に携わる者全てに

厳しい監視統制が敷かれていました。



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1940年8月8日、秘密裏に進水。

1941年12月16日に就役となるわけです。



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米戦艦はパナマ運河を通過するために、

艦体幅に制限があるので大和級の主砲を搭載出来ず、

文字通り当時世界一の戦艦となりました。




竣工間もない頃には、15.5センチ3連装砲塔が左右両舷にドカッと腰を据えていました。

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この砲塔の役割は、たしか対水雷戦防御でしたね。

これは武蔵の艦首から環境に向かって撮影したものです。

右舷側にしっかりと15.5センチ3連装砲塔が写し出されています。

しかし甲板は意外とスッキリしてるんですね



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しかし時代は航空戦が主力となり、対空防御へと換装されていきます。



昭和19年後半ともなると、日本軍は太平洋各地で

押されっぱなしになり、陸海軍の航空兵力も消耗し

艦隊護衛もままならない状況に陥りました。

そこで艦隊決戦よりも対空防御が重要視され、

大和も例外ではなく、レイテ沖海戦直前になって


左右両舷の2・3番副砲塔が撤去され、

12.7cm連装高角砲6基に換装されました。


シブヤン海海戦において、空母フランクリン攻撃隊の直撃を受けた大和

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昭和20年の菊水作戦の頃ともなると

航空兵力はその大半を特攻作戦に向け、

艦隊護衛機すら特攻機の護衛に回し、

大和の沖縄突入には護衛機は一機も付きませんでした。


この頃の大和は25mm3連装機銃を

当初の8基から52基に増やし

まるではりねずみのようです。



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2005年12月17日、

『男たちの大和/YAMATO』が劇場公開され、

広島県尾道市向島町の日立造船向島西工場跡地に

大和のロケセットが作られていました。

ロケ終了後一般公開されたので家族で見に行きました。

作られていたのは、大和の全長263mのうち約190mで

二番主砲・副砲と左舷の対空火器群でした。

それでも「バカでかいなぁ!」と驚きを隠せませんでした。



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60口径15.5cm3連装副砲
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40口径12.7cm連装高角砲
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25mm3連装機銃
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左舷全景
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あれからもう10年も経ったのですねぇ。



たしかロケセット見学の後は、

呉の大和ミュージアム・

山口県大津島の回天記念館へ

行ったような・・・。


話が反れましたが、

大和が連合艦隊の第1戦隊に編入された時にゃぁ

軍令部も連合艦隊も、

この艦があらゆる敵艦を駆逐してくれるものと

大いなる期持ったことでしょう。

しかし将来大和の運用方法に苦慮するなど、

誰一人推測など出来ぬほど、

数奇な運命をたどってしまいます。



もし竣工が半年早く、真珠湾攻撃に参加し、

真珠湾を艦砲射撃したら・・・、

ミッドウェイ海戦の時、山本長官が乗艦せず

ミッドウェイ島砲撃に向かったら・・・、

餓島・ヘンダーソン飛行場砲撃に参加したとしたら・・・、

大和のたどった道はどのように変わっていったのでしょう。

戦の主力は艦隊決戦から

航空攻撃へと変化した以上、

大和の運命はやはり同じ道をたどったんでしょうね。

でも、あれだけの艦ですから

出来れば一花も二花も咲かせてあげたかったですね。



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