Quantcast
Channel: 第弐章 「悠久の大義」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 365

昨日は“226”の日、国士の有志の皆様が“二十二士”の合同慰霊祭に参列されました!の巻

$
0
0
 
二・二六事件は、1936年(昭和11年)2月26日~2月29日にかけて、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件。
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
◎皇道派
 
帝国陸軍内にかつて存在した派閥。北一輝らの影響を受けて、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指し、対外的にはソビエト連邦との対決を志向した。
 
 
 
昭和維新
 
1920年代~1930年代前半にかけては、戦後恐慌や世界恐慌による経済の悪化、排日移民法や張作霖爆殺事件などによる国際社会の不安定化などから、軍部急進派や右翼団体を中心に、明治維新の精神の復興、天皇親政を求める声が急速に高まった。特に政争を繰り返す政党政治への敵愾心が激しく、また天皇を外界と遮断して国を誤っている元老・重臣ら側近達を殲滅すること。
 
 
 
国体
 
その国の基礎的な政治の原則であり、天皇を中心とした秩序(政体)のこと。
「国」とは政体の下に属する土地・人民、地理上の区画、首都、封土、ふるさとの意。
天皇を中心とする日本の国の歴史を称揚する「皇国史観」を原則とする。
 
 
 
 
1931年(昭和11)2月26日、「昭和維新」を叫んで青年将校らがクーデターを計画し、雪降り積もる日に決起しました。ちょうど東北農村の凶作によって多くの餓死者を出し、その結果少女たちが身売りに出されるという状況にありました。財閥だけが富みを得ていることに憤りを抱き、国家改造を目的とした青年たちの叛乱です。
 
首相官邸、各閣僚私邸、警視庁、朝日新聞社が襲撃され、大臣の数名が殺害された。
しかし、叛乱軍は瞬く間に鎮圧され、彼らの目的は挫折した。
当然、彼らが奉じた昭和天皇にも彼らの意思は伝わらなかった。
その後、3月から軍法会議が開かれ、7月5日には栗原安秀、安藤輝三、安田優たち青年将校17名に死刑が言い渡されます。そして1週間後の12日に、陸軍刑務所内の処刑場で15名の死刑が執行されました。
翌年の8月19日、同所で磯部浅一、村中孝次と彼ら青年将校の思想的指導者と目された北一輝や西田税を含む4名が処刑されます。
 
 
 
北一輝(左)・野中四郎(中)・安藤輝三(右)
イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼らは当時の代々木練兵場で処刑されました。
1965年、2・26事件から30年目に、その跡地である渋谷税務署わきに残っていたレンガ塀の場所に、遺族や関係者の手によって慰霊碑が建てられました。
 
 
 
イメージ 6
 
イメージ 7
 
 
 
 
226事件終息後、裁判によって死刑判決を受け執行された19名と、自決した野中四郎・河野寿、相沢事件で死刑となった相沢三郎が、“二十二士”として港区元麻布の賢崇寺に葬られています。
そして毎年2月26日・7月12日に合同慰霊祭が執り行なわれます。
 
 
 
イメージ 8
 
イメージ 9
 
 
 
 
現在も墓参する方が後を絶たず、訪れるたびに花や飲み物が供えられています。
 
 
イメージ 2
在京の諸先輩方々に、今年も国士を代表して
渋谷とここを訪れていただきました。
 
押忍!先輩ごっつあんでした!
 
私も大学時代、4度慰霊碑と合わせここを訪れ
ました。
 
当時の日本国民の苦しい生活,国民不在の政治や腐敗した政治家、財閥これらを改めるため、
「昭和維新」を掲げ、行動を起こした純粋な心を
思うと、やりきれない思いで一杯です。
 
 
 
 
当初タイトルを「今日は“226”の日~」としていましたが、気が付けばもう日付が変わってるではないか
 
しかたないので「昨日は“226”の日~」に登録直前に慌てて変更いたしました
 
 
 
 
 
 
いつも御訪問戴きありがとうございます
興味を示された方は下の旭日旗を
クリックしてくださればありがたいです
↓   ↓   ↓   ↓
イメージ 1

Viewing all articles
Browse latest Browse all 365

Trending Articles