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Channel: 第弐章 「悠久の大義」
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へぇ~そうなんや!!帝国海軍には敵舟艇を奪い取って自軍占領地域に戻った豪傑がおったんやて!の巻

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ベララベラ島は、ソロモン諸島西部州の島。
 
悲惨な戦いをつづけたガダルカナル島とラバウル基地の中間くらいに位置します。
 
 
 
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1942~1943年にかけてのガダルカナル島の攻防戦に敗れた日本軍は、米軍の追撃に備えソロモン諸島の西の守備隊にその防備強化に取り組みます。
 
取り組むと言ってもスムーズな増援があるわけでもなく、ガダルカナル島のような鼠輸送でどうにかこうにか
食いつないでいました。
 
そんな中、米軍は1943年7月5日にニュージョージア島上陸した後、コロンバンガラ島は跳び越して8月15日にベララベラ島へ上陸します。
 
米軍のベララベラ島上陸は、日本軍の防衛計画に狂いを生じさせます。
コロンバンガラ島で食い止めるつもりが、その西のベララベラ島を取られてしまうとブーゲンビル島が直接脅威にさらされるからです。
 
 
8月17日夜半には、ベララベラ島への増援部隊を輸送する駆逐艦隊と米第41駆逐群との間に、
第一次ベララベラ海戦が勃発し、日本軍は輸送部隊の一部に被害を出しますが、増援は成功します。
 
ベララベラ島の米軍はニュージーランド軍と交代し、日本軍を追い詰めます。
 
米軍が占領を放棄したコロンバンガラ島の、日本軍の撤収は9月28日から10月2日の間に完了しており、
ベララベラ島からブインへの撤収が急遽行われることとなりました。
 
撤収作戦の実施部隊の駆逐艦隊と輸送部隊は、10月6~7日にかけて再びベララベラ島海域において米艦艇と交戦します。第二次ベララベラ海戦です。
 
20時半頃レーダーで先に日本艦隊を発見した米艦隊が発砲。
日本艦隊には一瞬の戸惑いがあり、そのわずかな時間が致命的となった。
 
四番艦として行動していた「夕雲」は集中砲火を浴び、火災が発生。
そののち魚雷が命中し、これが止めとなって21時10分に沈没。
 
 
 
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駆逐艦長大迫東中佐を初めとして乗員の大半は戦死したが、海戦の最中に「風雲」が何名か救助し、
米魚雷艇に78名が救助された。
 
機関長以下25名は、やはり海戦で沈没した米駆逐艦のものと思しき舟艇を奪取。
 
やがて米軍魚雷艇が出現して乗り移るよう指示されたものの、猛烈な拒否行動を展開。
 
その時敵は不可解な行動を取るんですね。
戦闘を嫌ったのか、米軍魚雷艇は降伏を拒否されたのち、なんと夕雲生存者分の食糧と飲料水を彼らに分け与えると去っていったというんですね。
 
米軍に紳士でも乗っていたんでしょうかねぇ???
 
 
 
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機関長以下25名は1日半かけてブーゲンビル島・ブインに到着しました。
 
第八艦隊司令官鮫島具重中将はブインの桟橋に赴いてカッターを出迎え、
 
「夕雲は行方不明、全滅と聞いたが敵のボートを分捕って帰るとはよくやった。御苦労」
 
と賞賛されたそうです。
 
また種子島洋二第一輸送隊隊長は、
 
「死闘の続くソロモン海ではじめて聞いたすがすがしい話」
 
と、敵の好意に敬意を払いました。
 
 
 
しかしこの機関長って、いったいどんな人だったんでしょうねぇ。
 
豪傑と言うか、よっぽど胆の座った武人だったのでしょうか。
 
その後どうなされたのでしょう。
 
生きてて欲しかったですね。
 
 
 
 
 
同海戦で沈んだ米駆逐艦「シャヴァリア」
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