当家では数多くの軍人を輩出しており、二番目の叔父は一式陸上攻撃機の搭乗員として菊水作戦に参加。
人間爆弾『桜花』を積み沖縄方面に出撃しました。
しかし、敵艦載機の襲撃を受け、機長の判断で『桜花』を投棄しかろうじて逃げ帰ってきたそうです。
他の部隊には“卑怯者”の烙印を押す者もいたそうですが、第七二一海軍航空隊司令岡村大佐から
「陸攻搭乗員諸君の任務は“特攻”ではない。だから必ず帰ってきて反復攻撃に行ってもらう。
行けるとこまではとことん行け!しかし敵に遭遇したら捨ててでも帰ってこい!
本作戦は死ぬことが目的ではない!」
と言明され、その命令に従ったまでです。
叔父は法事等で一族が会する時決まって、
「わしらは桜花を捨てて帰ってきてしもた。ほかの3機はあのまま逝ってしもたのに・・・。」
「沖縄であんなむごい戦いをしとるとは全く知らんかった。わかっとったら、石にかじりついてでも沖縄に突入しとったのに・・・。」
「沖縄方面根拠地隊には戦友がおったかもしれん。太田閣下や戦友、沖縄の人たちには大変申し訳ないことをしてしもた・・・。」と涙を拭っていました。
そんな叔父も90歳を越え、死ぬまでに沖縄を訪れたいという願いもかなわないため、私が叔父の名代として
沖縄の旧海軍司令部壕をはじめとして、各地の戦跡の慰霊に行くことになりました。
米軍の沖縄本島上陸は、昭和20年4月1日。
4月7日には戦艦大和が敵艦載機の攻撃を受け、沈みました。
第一戦隊『大和』と護衛の第二水雷戦隊
今回の滞在は、わずか24時間余と言う強行軍です。
午前3時45分 起床。
4時15分 自宅を出発。
4時50分 集合地点到着。速やかに神戸に向かう。
6時15分 神戸空港到着。
搭乗手続きを終え、![]()
を取る。


午前7時30分 沖縄に向けいざ出陣じゃ~![]()

空港を飛び立ってすぐに須磨浦公園上空に差し掛かる
つづく。![]()
